幼児の主体的な運動活動を支える指導者の役割
−保育所における体操教室からの一考察−

The Role of Coach to Support the Subjective Physical Play Activities of Young Children
- A Case Study of Gymnastics Class in Nursery School -

            古屋朝映子(川村学園女子大学,筑波大学大学院)
            長谷川聖修(筑波大学)

     Saeko Furuya (Kawamura Gakuen Woman's University / University of Tsukuba, Graduate School)
     Kiyonao Hasegawa (University of Tsukuba)

[Abstract]

  In early childhood, it is necessary to experience various movements subjectively. Coaches need to devise environmental compositions for movement, and roles other than just to teach activities directly.
 This study focuses on “free time,” using gymnastics as a tool in physical play activity classes for five-year-old nursery school children. This study discusses the coach's conduct during the free time.
 Young children’s physical play activity environments should be built for not only the coaches’ purposes or intentions, but also for the children’s interaction with their created environment. Children, environments, and coaches form a circular interrelationship, suggesting that it may be necessary to consider these as one “gestalt.”

Keywords : young children, physical play activity, subjectivity, the role of coach


I .はじめに

 幼児を取り巻く社会環境の変化による体力低下の問題を受け,文部科学省により策定された幼児期運動指針(文部科学省,2012)では,「幼児が自発的に取り組む様々な遊びを中心に体を動かすこと」および「幼児が自発的に体を動かしたくなる環境の構成を工夫すること」の重要性が述べられている.また,保育所保育指針(2017)においては,「子どもが自発的・意欲的に関われるような環境を構成し,子どもの主体的な活動や相互の関わりを大切にすること」という保育所保育に関する基本原則の上で,領域「健康」において,「自分から体を動かすことを楽しむ」ことがねらいとして掲げられている.以上より,幼児期の運動指導においては,運動に対する幼児の主体性注1)を尊重することが重要であると言える.
 幼児の主体性を尊重しつつ多様な動きを経験させるためには,幼児が運動環境注2)に対峙した際に,経験させたい動きが引き出されること,すなわち幼児自らがその環境が持つ行為可能性を知覚し動きを創造する活動が必要である.そしてその際に指導者は,経験させたい運動内容そのものを直接教示するというよりもむしろ,経験させたい動きが引き出される環境構成を工夫することが重要であると考える. しかしながら,実際の保育施設における運動指導では,画一的や一律的な運動指導が散見されるのが現状である.幼児期における運動の一斉指導においては,運動に対する否定的な自己概念の形成が懸念されている(吉田,2014).また,一律的な運動指導を取り入れている幼稚園の方が,取り入れていない園に比べて,幼児の運動能力が低いという研究結果(杉原,2008)も報告されている.
 多様な動きの経験を担保しつつ,幼児の主体性を尊重する運動環境においては,指導者は運動内容の直接的教示者ではない役割を担う必要があると考える.そこで本研究では,幼児が主体的な活動の中から多様な動きを経験することを目的とした体操教室における,用具を用いた自由な活動時間に焦点を当て,その際に必要な指導者の役割に焦点を当てて省察した.これにより,幼児期の運動指導における,人的環境としての指導者の役割に関する実践的知見の獲得を本研究の目的とした.
 

II .事例の呈示

1.研究対象および研究主体者

 本研究では,研究主体者である筆者が,2016年9月および10月に実践した,保育所での体操教室の指導に関する内容を研究対象とした.
 筆者は,体操(Gymnastics for All)を専門とした若手の大学教員であり,保育者養成の学科にて,幼児体育関連の科目を中心に担当している.また,学生時代より幼児への体操指導に従事しており,事例の収集時においても定期的および不定期的な幼児への体操指導を実践していた.

2.指導対象


 指導対象は, A保育園の5歳児クラスの幼児22名(男児7名,女児15名)であった.筆者は2016年4月より,外部指導者として同保育園の5歳児クラス全員を対象として体操教室の指導を実践していた.本体操教室は,正規の保育内容の一環として,1年間に渡り月に1回(年間10回)のペースで開催されていた.開催日時は平日の10:00〜11:00の1時間であり,保育園の多目的ホールでの活動であった.指導者は筆者であり,筆者の他に指導補助として担任保育士1〜2名が教室に参加していた.
 なお,体操教室の実践を研究の対象とすることについて,A保育園の園長および対象とした幼児本人とその保護者に対し,書面と口頭にて同意を得た.

3.体操教室の活動内容

 体操教室の活動目的は,「様々な用具を活用した動きの実践を通じて,多様な動きを経験すること」および「自ら運動内容を創意工夫し,運動にチャレンジする態度を養う」ことであった.よって,体操教室における活動は,ある特定のスポーツ技術・技能の習得に主眼をおいたものではなく,体操を通じて「自分の体を十分に動かし,進んで運動しようとする(保育所保育指針,2017)」力を育むことを目的としていると言える.
 また,下記の三つを筆者の指導理念として掲げ,活動した.
@ 運動の「できる」・「できない」にこだわりすぎず,幅広い運動経験を積むことを第一の目的とする.
A 自己決定的な活動を取り入れることで,主体的に活動する姿を尊重する.
B 一切の危険を排除することが最も危険なことであると捉え,適切な安全管理のもと,幼児自身に運動時の危険や現段階における運動能力の限度を認識させる.
 なお,上記の「目的」および「指導理念」については,年度はじめに保育園宛に書面および口頭にて示し,理解を求めた.
 体操教室の活動は,基本的には一斉指導が中心であったが,一斉指導による活動の前に,使用する用具における安全上の留意点について「お約束」を確認した後に,まずは指導者側から動きの内容を呈示することなく,約10分間自由に用具を使用して活動する時間を設けた.(参考までに,本研究において対象とした2016年9月および2016年10月の活動内容の詳細を表1および表2に記載した.自由な活動時間は,表1および表2の導入部分「何ができるかな?」の時間:□(黄色)の部分に相当する.)これは,自由な活動時間の中において,幼児は指導者の適切な援助のもと,主体的に運動活動を実践するであろうという筆者の仮説のもと実践した活動であり,いわば,幼児自らが「環境の持つ行為可能性を知覚し動きを創造する」という,運動への主体性を育むための「仕掛け」としての位置付けであったと言える.また,指導者が幼児の興味・関心の所在を把握し,次におこなう一斉活動の内容へと反映させる目的もあった.

表1 いろいろマットを使った活動


表2 新聞紙を使った活動

III .エピソードの呈示と考察

 本章では,用具を使用した自由な活動時間(表1および表2の導入部分「何ができるかな?」の時間)に焦点を当て,その中で筆者が「多様な動きを引き出す」ことをねらった幼児への働きかけのうち,印象に残った2例について,鯨岡(2005)が提唱するエピソード記述を用いて呈示した.エピソードの内容について脱自的に省察することにより,幼児の主体的な運動環境を促すための指導者の役割について,考察をおこなった.エピソードの作成に際しては,筆者が指導者として活動を共にする中での参与観察の記録に加え,活動の様子を1台のビデオカメラにて撮影した映像記録を,補助資料として使用した.
 なお,考察においては,脱自的な考察を心掛ける視点から,研究主体者を「筆者」ではなく「指導者」という書き方で統一することとする.また,考察中の下線は,エピソード中からの引用である.

1.「いろいろマット」を使った活動(2016年9月)

【背景】
 体操教室4回目.使用する用具は「いろいろマット」であった.この用具は筆者が黄色と赤色のヨガマットを大人の手のひらサイズの三角・四角・星型・丸型・菱形に切り取った,手作りの用具である.マットは,各色・形10枚ずつ計50枚あり,幼児全員が1枚ずつ以上使用できる数を揃えてあった.いつものように用具を袋から取り出し注3),どのような色や形があるかについて問いかけ,言葉の学習とともに用具への興味を引き出すように努めた.その後,マット全てを袋から出してフロアの中央に置き,自由に遊んでよい旨を伝えた.

【エピソード1:「遊びの伝染」の媒介者】
 フロアに広げられた様々な形のマットを囲んだ幼児は興味津々な様子で、筆者の「どうぞ,お使いください」の掛け声を聞くや否や,皆一斉にマットに飛びついていった.筆者の「なにしようかな,みんな?」の問いかけは,全く耳には届いていなかったようである.「ぼくは,これ!」「ちょうだい,ちょうだい!」「こっちにも,かして!」...と,各自色々と言いながらマットを選ぶ幼児を見て,担任保育者は「すごい,群がっていますね,魚のように...」と横にいた筆者に呟いた.
 思い思いのマットを手に取った幼児たちは,自然と3〜4名ずつのグループに分かれ活動を開始したが,中には一人で数枚のマットを所有する姿も見られた.どの幼児も,マットを形ごとに重ねたり並べたりする活動や,形の違うマットを床に並べて「家」や「車」といった造形を作る活動,マットを「パン」と「具」に見立てて「サンドウィッチ」を作る活動等,静的な活動内容であった(写真1).筆者はこの活動が体操教室であることから,何か動的な活動に結びつく幼児はいないかと思いながらも,もう暫く様子を見守ることとした.
 自由な活動を始めてから3分程経った時,4人グループで遊んでいた1人が,手に持っていた数枚のマットを両手で空中に放り投げた.それを見た同じグループのもう1人も真似をしてマットを投げ始めた(写真2).2人は床に散らばっているマットを拾っては上に投げ上げ,また拾っては投げる行為を繰り返した.マットが身体に当たっても痛くないからか,自ら落ちてくるマットに当たりに行くような動作もみられ,どんどん動きがダイナミックになっていった.この時,筆者はこの2人に1)背を向けた状態で他の幼児と関わっていたため, 2人の動きにはまだ気がつかなかった.
 2人がマットを投げる動きを始めてから1分半程経った後,筆者はやっと2人の動きに気がついた.「これはチャンス!」と思った筆者は,他の幼児と関わりながらも2人に目をやり,2)「ああ,投げるのも楽しいかもね」と全体に聞こえる声で言い,自らもマットをフライングディスクの様に投げてみせた.するとそれを見た他の幼児が1人,2人と真似をしてマットを投げ出した.そして,マットを投げている仲間を見て,その他の幼児たちもマットを投げる動きを開始した.


写真1 静的活動の様子


写真2 一部の幼児がマットを投げ始めた様子
 


【考察】
 本エピソードは,「いろいろマット」を使用した自由な活動時間において,造形的な静的活動であった集団に対し,一部の幼児が始めた「マットを上に投げる」という動きに着目した指導者が,「声」と「動き」にて,マットを投げる動きを全体に広めることができた事例である.
 幼児の遊びの広がりについて, ある一人の動きが他児へと伝播していく現象が見られることがあり,このことを(山本,2001)は,「遊びの伝染」と称している.本事例においても,結果的には「遊びの伝染」が発生したといえるが,エピソード内の2)「ああ,投げるのも楽しいかもね」と全体に聞こえる声で言い,自らもマットをフライングディスクの様に投げてみせた」にみられるように,指導者の言動が大きく作用していた.つまり本事例では,「遊びの伝染」のきっかけは指導者の言動であり,指導者は「遊びの伝染」の媒介者としての役割を担っていたと捉えることができる.
 本事例の場合,指導者の言動がなくても,幼児自身が他の幼児の動きに直接反応して,マットを投げる活動が広がっていった可能性もある.しかしながら,多くの幼児が床にマットを置き,下を向いて仲間の動きが視界に入りにくい状態で活動していたことを踏まえると,そのまま静的活動が持続していた可能性も大きい.また,体操教室という枠組みの中においては,活動内容を動的な内容に発展させる必要があり,幼児の嗜好性に任せた動きのみにその場を委ねていたのでは,活動内容が指導者のねらった動的な活動に移行させることはできないかもしれない.これらの観点から,本事例において指導者の言動は,幼児の動きを全体に広げる役割として有用であったと考えられる.
 しかしながら,本事例において反省すべき点もある.一部の幼児がマットを投げ始め,その動きが次第にダイナミックになっていった訳であるが,当初,指導者はその幼児に「1)背を向けた状態で他の幼児と関わっていたため, 3人の動きにはまだ気がつかなかった」.(このことは,参与観察では把握し得ない事であるが,補助資料として撮影した映像にて,確認することができた.)幼児は何か目をひくようなことや面白そうなことが起こると,すぐに振る舞い(遊びの内容)を変えてしまう,すなわち「気まぐれ」(氏家,1996)であるため,指導者がマットを投げる幼児に気づくのがもう少し遅かったとしたら,当初マットを投げ始めた幼児の動きは次に移ってしまい,本事例のような成り行きにはならなかった可能性がある.また,マットを投げる動きが集団全体に広まる中で,一部の幼児は静的活動を継続していたため,投げたマットがそれらの幼児に当たってしまったり,ダイナミックに動く幼児と床に座って活動する幼児とがぶつかりそうになってしまったりという,安全管理の面で改善すべき事象もみられた.これらのことから,本事例のような幼児の自由意思による活動の場合は,特に指導者は個々の幼児の動きに意識を向けると同時に,集団全体の活動の流れを俯瞰することが重要であると言える.

2.新聞紙を使った活動(2016年10月)

【背景】
 体操教室5回目.この日は,新聞紙を使用した活動を実践した.新聞紙は多様な用具特性を有し,入手しやすい日用品であるため,保育現場においては運動活動だけではなく,表現活動や造形活動等,様々な場面で活用されている.指導対象の幼児は,体操教室で新聞紙を扱うのは初めてであったが,通常の保育においては,過去に何度か新聞紙を使った活動を経験していた.
 新聞紙を用いる旨を伝え,「今日は何して遊ぼうかな?」と問いかけると,「ビリビリ破る」「折り紙」「魔法の布みたいに使う」注4)...と各々が過去に経験したと思われる活動内容を口にした.筆者は,「みんなは,この新聞紙が1枚あったら,どんなことができるかな?先生も考えているのだけど,みんなも一緒に考えてくれるかな?」と問いかけて活動を開始した.

【エピソード2:動きを発展させようとしたけれど...】
 1人1枚の新聞紙を手にした幼児は,各々ホールに散らばって活動を開始した.1人で活動する者と複数人で活動する者といたが,その大半が,床に新聞紙を置き,「折り紙」として新聞紙を活用していた.そのうち, 3名が「マント」のように新聞紙を羽織って,フロアを走り出した.それと同時刻に,別の3名が「お布団みたい」といって新聞紙を布団に見立てていた(写真3).筆者は,以前実践した布を使った活動での内容を覚えているのかな,と少し嬉しく思いながら,このあとの活動の展開について考えながら,全体を俯瞰していた.
 自由な活動を始めてから4分程経った時,「布団」の見立て遊びをおこなっていた3名の隣にいた1名が,「ボール作ったよ!」と近くにいた担任保育士に言いながら,新聞紙を半分に破いてボールを作り,投げ始めた.すると,見立て遊びをしていた幼児らも新聞紙を丸めてボールを作り,真上にボールを高く投げ上げ,それをキャッチし始めた.そして,1)「先生,見て!すごいでしょう!」と,筆者に報告しに来た.
 筆者は,2)もう少し動きを発展させようと思い,ボール投げをしていた幼児を含めた数名に対し,1人が投げたボールを2人で広げた新聞紙でキャッチする動きを提案し(写真4),3)一緒にやってみせた.しかしその動きは幼児に受け入れられることはなく,筆者が4)他の幼児のところへ移動すると,他の動きをはじめ,筆者が提案した動きがそれ以上発展することはなかった.


写真3 指導者が介入する前の幼児の様子


写真4 指導者が動きを提案している様子

【考察】
 本エピソードは,新聞紙を使用した自由な活動時間において,丸めた新聞紙で作ったボールを真上に高く投げ上げ,自らそれをキャッチしている幼児に対し,他者が投げたボールを2人で広げた新聞紙でキャッチする動きを提案したが,その動きが幼児に受け入れられず,動きが発展しなかったという事例である.
 この事例において,指導者の提案が受け入れられなかった要因は何であろうか.その要因を考えることを通じて,指導者の役割について考察したい.
 まず一番の要因として,幼児の動きに対する嗜好性(幼児が「やりたい!」と思った動き)と指導者が提案した動きの内容とのズレが挙げられる.幼児から発生した動きと指導者が提案した動きは,運動構造とそこに発生する「おもしろさ」注5)が異なる.ボールを真上に投げ上げ,自らそれをキャッチする動きにおけるおもしろさは,投球の距離と捕球の成否にある.一方,他者が投げたボールを2人で広げた新聞紙でキャッチする動きは,ボールを投げる者においては,「的当て」のようにボールをコントロールして投げること,新聞紙でボールをキャッチする者においては,位置をコントロールしながら新聞紙でボールを受け止めることにおもしろさがある.また,複数人で協力することで成立する動きであるため,動きの内容そのものによるおもしろさに加え,協同的な活動に伴うおもしろさも存在する.真上に高く投げ上げたボールをキャッチする動きについて,対象とした幼児は,1)「先生,見て!すごいでしょう!」と指導者に報告しに来ていたことから,幼児はボールを高く投げること,そしてそれを自らキャッチすることにおもしろさを見出していたと推察される.そのような幼児に対し,指導者が2)もう少し動きを発展させようと思い提案した動きは,運動構造そのものが異なっていた上に,他者との協同作業という新たな要素が加わったため,幼児にとっては動きの発展ではなく,全く別の動きとして捉えられた可能性がある.
 幼児の協同性は,「物の世界での物に応じた動きと,相手の身体的動作に呼応した動きを基本に持ち,それが小さな定型的なまとまりを作りつつ,それが連鎖するときに他の関連したりしなかったりする動きが入ってきて,揺れつつ,実現するもの」(無藤,1997)であることより,本事例の場合,まずは,「物の世界での物に応じた動き」(すなわち,ボールをコントロールして投げる動き・位置をコントロールしながら新聞紙でボールを受け止める動き)を1人で経験した上で,「相手の身体的動作に呼応した動き」(すなわち,指導者が実際に提案した,複数人での協同作業)に移行すべきであったと考える.
 二つ目の要因として,提案の方法に問題があったことが考えられる.指導者は,提案した内容を3)一緒にやってみせた後,すぐに4)他の幼児のところへ移動してしまった.新聞紙で作成した軽いボールとはいえ,新聞紙を破くことなくボールをキャッチするためには,新聞紙を持った2名が協力し,ボールの重さを受け止める技術が必要である.またボールを投げる側も,力一杯投げるのではなく,広げられた新聞紙に向かって「そっと」投げる技術が必要である.指導者はこれらの提案した動きについて一緒にやってみたものの,幼児に動きの「コツ」を示唆することなく,動きの内容のみを提案してその場を離れてしまったため,幼児だけでは活動が上手く成立しなかった可能性がある.実際,指導者と一緒にやってみた際にも新聞紙が少し破れてしまっていたため,その時点で「難しい動き」と捉えられ,そこから幼児のみで動きを工夫し,活動を成立させるのは難しかったのであろう.

IX.総合考察

 本研究は,幼児が主体的な活動の中から多様な動きを経験することを目的とした体操教室における,筆者の指導実践の報告をおこなうとともに,2つのエピソードから,指導者の役割に焦点を当てて省察することを目的としたものであった.
 2つのエピソードはともに,指導者が設定した用具を使用した幼児の自由な活動の中における,指導者の幼児への働きかけの場面を抽出したものである.エピソード1は,一部の幼児に発生した動きを指導者の言動を媒介として集団全体に広げ,集団全体の活動を展開させることができた事例であった.一方でエピソード2は,指導者が動きを発展させようとして新しい動きを提案したが,幼児にその提案が受け入れられず,活動が発展しなかった事例であった.
 体操教室(すなわち,動的な身体活動をおこなう場)という枠組みの中で,集団全体が「多様な動きを経験する」という点においては,指導者は,活動の主体である個々の幼児から発現した動きを把握し,全体へと広めること,また新たな活動への展開へと導くことが必要であると考える.しかしながら,その際に指導者自身の意図(=経験させたい動き)が最優先されて活動を展開してしまったのでは,時として,幼児の主体的な運動活動を促すという体操教室本来の目的が達成できないこともある.河邉(2014)は,運動遊びに対する保育者(本研究においては指導者)の援助のあり方について,「よい観察者」であることを挙げており,どのようなおもしろさに動機づけられているかを見ること(内面の文脈を読み取ること)の重要性を述べている.指導者は,対象とする幼児への観察を十分に行った上で,指導者自身の意図だけではなく幼児の動きの内容に対する嗜好性も鑑みた上で,活動の内容を選択し,幼児の主体性と指導者の経験させたい動きとの兼ね合いの中で,対象にふさわしい提案方法をする必要があることが,本事例からの学びである.
 幼児の主体性と指導者の経験させたい動きとの兼ね合い,という点において,指導者は,運動環境において幼児が何を「知覚」し,どのような「動き」を表出しているか,またそれがどのように新たな環境へと「発展」しうるかについて知覚(=認識)することが求められる.すなわち,指導者が構築する幼児の運動環境は,幼児が作り出す環境との相互作用の中で構築されており,指導者と指導環境(すなわち,幼児にとっての運動環境)には,円環的な相互関係が存在すると言える.一方で,長谷川(2016)は,幼児の運動と環境との関係性について,「多様な場づくりによって子ども自らが動き出し,動きが新たな環境をつくり上げ,さらに動きの世界が広がっていく」と,幼児と運動環境との円環的相互関係について指摘している.また,鯨岡(2011)は,幼児が「学ぶ」ことと大人が「教える」ことについて,「『学ぶ』と『教える』は本来,子どもと大人の『学ぶ−教える』の関係として繋がっているはずで,その一方だけを切り離しては考える事のできないもの」であると述べている.以上を踏まえると,幼児の運動環境においては,「指導者−(指導)環境」または「幼児−(運動)環境」という二項間の相互関係だけではなく,「幼児−環境−指導者」という三項間の円環的相互関係が存在するという仮説が成立する(図1).言い換えれば,運動環境の構築という観点において,幼児と指導者との環境を媒介とした相互主体的な関係性が示唆される.


図1
 幼児-環境-指導者の円環的相互関係

 本研究において,幼児の運動環境における「幼児−環境−指導者」の円環的相互関係を具体的に示すことはできない.今後は,本研究の結果を踏まえ,幼児の運動環境における「幼児−環境−指導者」の円環的相互関係について,一つのゲシュタルトとして関係論的視点から検討したい.
 また,本研究は,指導者である筆者自身の省察に焦点を当てた研究であるため,エピソード記述の内容および考察は,他者とのグループディスカッションやケースカンファレンスといった形式での,省察の共有過程を経て得られたものではない.鯨岡(2005)が,エピソード記述の妥当性および信頼性獲得の手続きについて,「理想的には,他の人と同じ場面を観察(経験)しているときに,そのエピソードを取り上げ,それを記述し,その記述をその場を共有した人に吟味してもらうというのが,その描かれたものの妥当性や信頼性に繋がる最良の手続きである」と述べていることからも,今後は省察の共有をおこない,エピソード記述における一般性に当たる了解可能性の獲得に向けて,記述の内容および考察を深めていきたい.

注記

注1)幼児期運動指針(文部科学省,2012)にも示されているように,幼児の運動は「遊び」を中心におこなわれるべきものであるとされている.「遊び」の概念や定義は様々な学問分野において諸説あるが,杉原ら(2014)によれば,遊びは「自己決定と有能さの認知を追求する内発的に動機づけられた状態である」という.活動が自己決定的であるためには幼児の取り組みの姿勢として,決められた内容への積極性はもとより,実践内容を自ら創り出していくというニュアンスが含まれる必要があると考える.また,運動環境に幼児が対峙した際に,経験させたい「動き」が引き出されることは,すなわち幼児自らがその環境が持つ行為可能性を知覚し「動き」を創造することである.その意味で,幼児期運動指針においては,幼児が運動に取り組む姿勢について,「自発(的/性)」という言葉を使用しているが,本研究においては「主体(的/性)」という言葉を使用することとする.

注2)保育所保育指針(2017)第1章総則では,保育の環境について,「保育士等や子どもなどの人的環境,施設や遊具などの物的環境,更には自然や社会の事象がある」と明記されている.本研究においては,「運動環境」を人的環境・物的環境・事象,更にはこれらの環境を活用した指導内容を含む,幼児の運動活動に伴う全ての事象の総称として捉えた上で,論を展開する.

注3)本体操教室において用具を呈示する際には,基本的に毎回同一の袋に入れ,まずは中身が見えないようにした状態で幼児の前に呈示していた.そして「今日のお道具はなんでしょう?」と問いかけながら,幼児に袋の上から触らせたり,「ちらっと」見せたりしながら用具への興味を引き出すように心掛けた.

注4)2016年6月の体操教室において,150cm×90cmのサテン生地でできたカラフルな布を使った活動をおこなった.「魔法の布を使おう!」というテーマのもと,布をマントに見立てなびかせたり,布の上に乗って引っ張ったりと,様々な動きを展開した.新聞紙と布は素材が異なるものの形状が似ていたため,幼児は以前の活動内容を思い出したようであった.

注5)岡野(2015)は,学校体育における運動の「おもしろさ」について,単に「できるようになることが楽しい.だからできないとおもしろくない」というような,教師の中に固定化された概念ではなく,運動内容そのものが持つ「技術+意味」,すなわち運動のAuthentic(真正な・本物の)なおもしろさが「運動の中心的なおもしろさ(文化的価値)」であるという概念を示している.本研究における「おもしろさ」も,この概念を示すものとする.



文献

・長谷川聖修(2016),たくましい子どもを育む「プレ(イ+トレ)ーニングのすすめ」.たくましい心とかしこい体−身心統合のスポーツサイエンス−,征矢英昭・坂入洋右編,p.130,大修館書店:東京
・厚生労働省(2017),保育所保育指針
・鯨岡峻(2005),エピソード記述入門,東京大学出版会:東京
・鯨岡峻(2011),子どもは育てられて育つ−関係発達の世代間循環を考える,p.192,慶応義塾大学出版会:東京
・文部科学省(2012),幼児期運動指針
・無藤隆(1997),協同するからだとことば−幼児の相互交渉の質的分析.認識と文化2,田島信元・無藤隆編,p.180,金子書房:東京
・岡野昇(2015),体育における対話的学びのデザイン.体育における「学びの共同体」の実践と探求,岡野昇・佐藤学編,pp.46-57,大修館書店:東京
・杉原隆(2008),運動発達を阻害する運動指導.幼児の教育,第107巻,第2号:16-22
・氏家達夫(1996),子どもは気まぐれ,pp.12-34ミネルヴァ書房:京都
・山本登志哉(2001),幼児期前期の友達関係と大人の関わり:遊び集団ができるまで.発達心理学,無藤隆編,pp.58-60,ミネルヴァ書房:京都
・吉田伊津美(2014),子どもの身体活動と保育.子ども学,白梅学園大学子ども学研究所「子ども学」編集委員会編,pp.146-147,萌文書林:東京